Mahorovaオフィシャルブログ開設記念特集

Mahorovaオフィシャルブログ開設記念特集

元祖飛び出し坊や「とびだしくん」看板とその生みの親、久田工芸の久田泰平さんと息子さんの晃弘(あきひろ)さん

「飛び出し坊やの起源を求めて」~さらなる探求・「横断旗人形」の謎Vol.1~

いろんな話が飛び交う噂の2012年。Mahorovaも、今年から今更ながらブログを始めてみます。よろしくお願いします。記す内容は縦横無尽となり、時間系列も無視したものになると思いますし、更新もなかなか思うようにはいかないと思います。どうか期待はなさらないで、気楽にお付き合いください。今回は、Mahorovaオフィシャルブログ開設記念特集として長文内容にて失礼いたします。今後の更新では、数行で終わる場合も多々あるかと思いますので、今回だけはご勘弁を・・・。

初回は、やはり元祖飛び出し坊や「とびだしくん」のグッズととびだしくん着ぐるみを扱うMahorovaならではの話です。さまざまな飛び出し坊やについての紹介は、ほかの飛び出し坊やファンの方たちが素晴らしい内容のサイト・ブログをアップされていらっしゃいますので、ここではあまり真剣に追いかけないことにします(たまにすごいのがあれば、もちろん、写真アップするでしょうが・・・)。

さて、当サイト内の「まほろば製作所~とびだしくん誕生秘話~」はご覧になられた方も多いかと思います。このなかで、「飛び出し人形=飛び出し坊や」の発祥地は滋賀県であるとの証明を試みました。「飛び出し坊や」研究第一人者のみうらじゅん氏が「0系」と呼ぶ、元祖飛び出し坊や「とびだしくん」看板考案者の久田工芸さんから伺った話と、当時発注を持ちかけた八日市市社会福祉協議会(現・東近江市社会福祉協議会)さんに残る詳細な記録から、昭和48年6月に11体の合板製「飛び出し人形」が初めて製作されたことがわかっています。この情報をMahorovaがインターネット上に公開後、各マスコミからの注目も集まり、「飛び出し坊や=飛び出し人形」の発祥は滋賀県であるということが徐々に広く認知されてきたように思います。そして、この情報を打ち消すような情報、つまり、他府県からの異議申し立てはいまのところありません。

元祖飛び出し坊や「とび太くん」と「とび太くん」のご先祖「横断旗人形」。かなり昔からここにいて、いまも「とび太くん」に見守られながら立っています(滋賀県犬上郡豊郷町)

元祖飛び出し坊や「とびだしくん」と「とびだしくん」のご先祖「横断旗人形」。かなり昔からここにいて、いまも「とびだしくん」に見守られながら立っています(滋賀県犬上郡豊郷町)

ところで、この話には続きがあります。実は、ほかにも「自分が第一号の製作者だ」とおっしゃる方がいるようなのです。しかし、記録に基づく情報と久田工芸さんの話から、やはり、ほかの方によって「飛び出し坊や=飛び出し人形」の第一号が作られたという事実は確認されていません。とくに、兵庫県の方のなかには、「飛び出し坊や」の第一号は兵庫県からと思っていらっしゃる方も多いようですが、「飛び出し坊や」に関する基本情報がまとめられたウィキペディアの情報によると(Wikiが必ずしも正しいとは言いませんが・・・)、兵庫県で確認されたものは「1982年に兵庫県氷上町(現・丹波市)で発見された木の立て看板が元祖」(ソース元:朝日新聞・生活面 2007年4月11日付)とされているとおり、久田工芸第一号製作時期の1973年6月には遠く及びません。

ただ、「とびだしくん誕生秘話」のなかでも触れているように、久田工芸さん製作の日本初の「飛び出し坊や=飛び出し人形」が、旧八日市市社会福祉協議会によって、滋賀県東近江市八日市金屋の野々宮神社前(県道13号線大凧通り沿い)に設置される以前から、世の中には「横断旗人形」(※交通安全人形とも)というものが存在していたという事実があります。このことは、「飛び出し坊や」第一号製作者の久田泰平さんもおっしゃっているように、「社協さんから高価な横断旗人形に代わる交通安全啓発資材の製作の依頼があった」という話からも伺えます。当時、児童が横断歩道を渡る際に使う横断旗を入れるための立体型「横断旗人形」というものが各地に設置されており、それをヒントに合板製の二次元型「飛び出し人形」というものが久田さんによって考案されたのです。

それでは、「横断旗人形」とは一体何なのか、そしてそれはどのように世に登場してきたのかというのも気になるところです。次回は、「とびだしくん」の先祖ともいえる「横断旗人形」について、たどり着けるかぎりの起源に迫ってみたいと思います。

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