Mahorovaオフィシャルブログ開設記念特集~Vol.2

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滋賀県近江八幡市安土町内で発見した古いタイプの横断旗人形。今のところ製作年・産地不詳。このタイプがもっとも古い横断旗人形なのでしょうか?

「飛び出し坊やの起源を求めて」~さらなる探求・「横断旗人形」の謎Vol.2~

当サイト内の「とびだしくん誕生秘話」では、「とびだしくん」が「横断旗人形」に由来するというところまでは追跡しました。では、その製作の発想の元となった、「横断旗人形」(交通安全人形)の起源はどうだったのかということが気になります。「横断旗人形」は一体どこでどのように生み出されたのでしょうか?

この謎を追うために、全国交通安全協会さんなど交通安全運動に関係する諸機関や、交通安全啓発資材を販売されている会社などに問い合わせてみましたが、はっきりとしたことはいまのところ突き止めることはできていません。ただ、独自の調査によって見えてきたのは、まだ新しい「横断旗人形」を各地(九州・中国・中部地方など)で見かけることがあるということでした。たまたま訪れた長野県の大町市周辺で「横断旗人形」を数多く見かけたため、もしかしたら長野県に何かヒントがあると考え、いろいろと思い当たる節に問い合わせてみました。

するとついに、松本市にある交通安全資材の製造・販売会社(許可を得られませんでしたので名前は伏せておきます)が、いまも全国に「横断旗人形」を販売していることが判明しました。その会社のご担当者の話によると、記録は定かではないそうですが、現在は引退されている先代の社長のころ(20年ぐらい前とのこと)から製造し、全国に向けて販売されているそうです。福井の工場で製造されているともお聞きしました。

長野県ほかで見られる新設の女子児童タイプの「横断旗人形」

長野県ほかで見られる新設の女子児童タイプの「横断旗人形」

長野県ほかで見られる新設の女子児童タイプの「横断旗人形」

長野県ほかで見られる新設の女子児童タイプの「横断旗人形」

それ以前にも、別の会社が男子児童タイプのものを製造・販売していたそうですが、その男子児童タイプが生産中止となったため、松本市の会社が新たに女子児童タイプのものを手掛けるようになったといいます。男子児童タイプのものは、もともと意匠登録等の手続きがとられていたため、女子児童がランドセルを背負った形の横断旗人形になったという話です。現在では、この女子児童タイプの横断旗人形は、全国各地に出荷され、とくに佐賀県に多く出回っているとのことです。ちなみに、この子にはこれといった特別な名前はないそうです。

緻密な調査により、いままでほとんど謎であった「横断旗人形」の歴史について核心に迫ることができましたが、それでもひとつ謎が残ります。それは、児童が手を挙げた格好の立体型の「横断旗人形」にもいくつかの種類が見受けられるため、それが新旧の型の違いだけなのか、同時期にいくつかの会社がそれぞれ製造・販売していたのかがわからないということです。元祖飛び出し坊やの「とびだしくん」が生まれたのが昭和48年ですから、それより古くからあったとなれば、もう、いまとなっては元祖「横断旗人形」が果たしてどこで生み出されたのかはわからないのかもしれません。

ただ、滋賀県を含め、関西地方にも「横断旗人形」が、時折、設置当初のまま生き延びている例を確認しています。上述の会社の方からも、「その昔は大阪で作られていたとの話しをなんとなく聞いている」との有力情報をいただき、また、「とびだしくん」が生まれた昭和48年以前の子どもを取り巻く当時の交通事情を考えると、やはり大阪などの大都市圏に起源があるのではという想定もできます。

そこで、大阪府の交通安全運動を担う大阪府交通安全協会さんにも、この「横断旗人形」について聞いてみました。担当の方の話によると、さすがに「横断旗人形」についての歴史はわからないとのことでしたが、探し出していただいた資料によると、昭和35年(1960年)4月8日に初めて、縦1m、横70cmの黄色い「児童愛護の旗」というものが、交通弱者である子どもたちのために作られたということがわかりました。

また、いまでは見かけることがなくなった「緑のおばさん」の制度が、東京都で昭和34年(1959年)の11月から始まったともお聞きしました。「緑のおばさん」といえば、かつて横断歩道の両脇に立ち、旗を振りながら児童たちを安全に横断させてくれていた人たちです。ある年齢より上の人にとっては懐かしい響きがあることでしょう。ちなみに、この制度は、経済的に困窮していた“寡婦”(未亡人や後家さん)の生活支援のために始められたといいます。

こういった一般的に“交通安全旗”(横断旗)と呼ばれるものは、どうやらこの時期(昭和35年前後)から、すでに交通量の多かった大都市圏で普及しはじめたようです。そのことを考えると、つまり、横断旗を入れるために設置された「横断旗人形」も、この時期以降、「とびだしくん」が登場した昭和48年までの間に大都市圏で発案されたということがおのずと見えてきます。
結果、現在までに導き出された確度の高い仮説としては、「横断旗人形」は、大阪のどこかで、ある会社が、昭和35年~48年の間に製造を開始したということになろうかと思います。

「飛び出し坊や」こと「飛び出し人形」と「横断旗人形」のコンセプトはまったく異なるものですが、「飛び出し坊や」創作のヒントとなった「横断旗人形」の起源についての謎もまた、「飛び出し坊や」ファンにとっては何気に気になるところなのではないでしょうか? 今後も、「横断旗人形」の起源については、調査を続行していきたいと思っています。

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