韓国に初上陸したものと思われるとびだしくん
前回は、日本初?、否、世界初?の「飛び出し坊やコンテスト」と、福島県南相馬市へ飛び出した「とびだしくん」についてお伝えいたしました。今回はその続きで、このコンテストを主催した「飛び坊実行委員会」の主要メンバーのひとり、滋賀県栗東市にお住まいの永田純子さんのご活動について書いてみたいと思います。
コンテストが終了したのちのある日のこと、突然、永田さんから連絡が入りました。「今度、用があって韓国へ行きます。そのついでに『とびだしくん』を持っていこうと思ってます!」とのこと。あまりに唐突な話で、ついつい笑ってしまいましたが、飛び出し坊やの元祖とびだしくん看板を、世界各国に派遣する意味は確かにあるに違いありません。
どちらかというと目立たない土地柄の滋賀県発祥(おそらく)でありながら、その後日本各地に広がり、そして、世界へと活躍の場を広げてゆくとびだしくん。こうなることは、とびだしくん(本名:飛出とび太)がこの世に誕生したときから、すでに決められていた運命だったに違いありません。世界中の子どもたちを交通事故から救うために、日本生まれのとびだしくんが立ち上がる!・・・といったところではないでしょうか(笑)。
韓国語サークルの講師もされている永田さんは、韓国へは何度も足を運んでいるそうで、今回、慶尚北道北西部にある聞慶市(ムンギョン市)を訪れた際に、市の農業技術センターの皆さんに1体を寄贈されたということです。
ちなみに、このとびだしくんについては、その後どこに設置されたかは未確認とのこと。韓国のどこかの路上で、元気に飛び出してくれているでしょうか? 気になるところです。
とびだしくん、そしてインドへ
日本を飛び出し、韓国でも飛び出し始めたとびだしくん。この話の流れには、さらに続きがあります。今年2月になって、永田さんからまたもや連絡がありました。今度はインドのコルカタに行くので、またとびだしくん看板をもって行くとのこと。コルカタでは、以前から念願だった、ボランティア活動の聖地「マザーテレサの家」を訪問したいとのことでした。
その後、帰国後のお話では、バックパッカーでにぎわう「サダルストリート」にある安宿「マリア」の前の露店食堂で、1週間ほど毎日お手伝いをしながら、旅行者らに日本食を提供するといった活動もされていたそうです。そのときにお世話になったお礼にと、とびだしくん看板を食堂に1体寄贈されました。
当初は、インドの友人の子どもさんが通う学校前などに設置してもらう予定だったらしいのですが、結局、流れで露店食堂の宣伝看板の役目を負わされることになったようです・・・。
もし、いまもそのまま誘拐されずにそこにいるのなら、現地に来られた日本人でとびだしくんの存在を知っている人は、きっと驚かれていることでしょう。というか、必ずツッコミを入れてしまうのではないでしょうか?
もちろん、インド人の方がとびだしくんを見て何を思うのかは未知の領域です。それでも、インドは急激な経済発展の最中にあり、交通事故防止の対策も今後ますます必要になってくることでしょう。この看板の趣旨が理解され、事故防止対策の一助になればいいのですが・・・。
とにかく、いまもインドで、とびだしくんがたくましく頑張っていることと信じておきたいところです。