とび太くん情報2013年その2 とび太くんついに博物館にまで進出!

とび太くん情報2013年その2 とび太くんついに博物館にまで進出!

こんなことになってます笑

日本各地のどこかの街角、路上で今日も元気に飛び出しているだろう飛び出し坊やたち。雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、またときには下校途中の児童たちにケリを入れられるなどのいわれのないイジメまで受けてもなお、児童たちの身代わりとなって使命を果たそうとするそのいたいけな姿…。

そんな飛び出し坊やたちの元祖として知られるようになった「とび太くん」ですが、Mahorovaブログが更新できなかった間にいろいろなことが起きています。すべてをご紹介することは難しいのですが、できるかぎり多くの情報をまとめて放出したいと思います。(ずいぶんとネタを溜めこんでしまいました…笑)

実は、今年はとび太くんが誕生してちょうど40年になります(昭和48年6月誕生)。つまり、飛び出し坊や(飛び出し注意を啓発する人型看板)がこの惑星に誕生してから40年ということです(ほかの国では確認情報がないので笑)。「元祖飛び出し坊やとび太くん誕生40周年」ということで、今年はとび太くんにとって重要な節目の年となりますので、いろいろと積極的な活動を展開しようと考えているところです。そんな矢先、ちょっとびっくりな話がMahorovaに入ってきました。

なんと、「飛び出し坊や」を博物館の企画展示テーマにしたいという内容でした。お話をいただいたのは、とび太くんの生まれ故郷、東近江市の能登川地区にある能登川博物館からです。展示内容についてのご相談を受け、ほんの少しだけMahorovaもご協力させていただきました。飛び出し坊やの展示は、2013年3月6日から4月28日までです。詳しい内容については、みなさんにもぜひ能登川博物館に足を運んでいただきたいのであえてお知らせいたしませんが、まほろば製作所(Mahorova)のとび太くんグッズなどもガラスケースに収まっていて、なぜだかウケてしまいました。まさかこんなことになるとは…(笑)

展示についての詳細がまとめられた冊子

展示についての詳細がまとめられた冊子

そのほかの内容をみても、さすがはアカデミズムの世界に身を置く学芸員さんの本領発揮といった感じで、標本学・分類学に基づくその類型立てられた詳しい展示内容には正直恐れ入りました(でも、そのあまりに真面目な展示内容ゆえなのか、逆になぜだかニヤケ顔になってしまいました…職員の皆様スミマセン)。今回の博物館による企画展示は、飛び出し坊やを扱った動きのなかでも、これまでにはなかったエポック・メイキング=歴史的出来事のようにも思われます。無料で入館できますので、ぜひ、みなさんにもこの機会にご覧いただきたく思います。

これまで飛び出し坊やは、地元の人々にとってはあまりにも馴染んだ日常の風景となってしまっていたために、「灯台下暗し」で地元ではこのような動きはありませんでした。どちらかといえば、ゆるキャラの生みの親としても有名なイラストレーターのみうらじゅんさんが注目されていたように、滋賀県外からやってきた人々にとってのみ気になる存在だったように思います。そのころまでは、滋賀県民は、まさか県外からやってきた人々が飛び出し坊やを気にかけていたとは思ってもみなかったでしょう。

ところが、ここ1、2年の間に地元の人にも飛び出し坊やという存在は実はすごい存在だったんだ…という認識が広まってきたようです(それはそうです。飛び出し坊やという存在は、世界広しといえども日本でのみ発達してきた文化なわけで、その発祥の地が滋賀県であり、滋賀県東近江市だったというわけですから…)。

こういう事例はよくありますよね? 日本人にはなんとも思われなかったものが、外国人から見るととてもすごいことで、それを知った日本人があらためてその価値に目覚めるという例。たとえば、脱亜入欧の風潮の真っ只中にあった明治時代、日本人には見向きもされず風前の灯となってしまっていた日本画が、「お雇い外国人」としてやってきたアメリカ人の美術史家フェノロサによる再評価で息を吹き返したといった例(ちなみに、フェノロサは滋賀県大津市にある「三井の晩鐘」で有名な三井寺近くにみずからの希望でお墓を立てています…イジメ事件などで近頃評判の悪かった滋賀県の宣伝もたまにはしておきますね)。飛び出し坊やの元祖である「とび太くん」を取り巻く地元の人々の感覚は、そんな感じじゃないでしょうか?

Mahorovaがとび太くんの着ぐるみ活動やグッズ販売などをするにあたって、飛び出し坊やの起源についてのストーリーをMahorovaサイト内「とび太くん誕生秘話」にて発表して以後、各種メディア等での飛び出し坊やにまつわる露出機会が増え、「飛び出し坊や」が滋賀県東近江市(旧八日市市)の発祥だったという認識が広がりを見せたように思われます。そして、ついには地元の博物館に扱われるような存在にまでなってしまった…などということを思うと、感慨深いものがあります。

とび太くんの生みの親である久田泰平さん(久田工芸さん)の地道な制作活動と、久田さんがとび太くんを制作する契機となった、東近江市社会福祉協議会をはじめとする地元の方々の交通安全に対する切なる願い…。この40年間にも及ぶ「飛び出し人形設置活動」(公には飛び出し坊やは「飛び出し人形」と呼ばれています)がどれほど多くの子供たちを救ってきたことでしょう。

平日の静かで落ち着いた雰囲気の館内で飛び出し坊やの展示をひとり観ているうちに、ふと変な思いがよぎりました。

「自分は、普段ああでもないこうでもないとブツブツいいながら人生を彷徨っているが、飛び出し坊やがいなかったとしたら、もしかしたら本当は交通事故に遭っていてこの世にはすでに存在していなかったのかもしれない…。」
そう思うと、とび太くんに対するこれまでの愛着心にもまして、実際に感謝の気持ちが自然と湧き上がってくるのでした……。     おしまい。

以下、能登川博物館の告知内容です。

能登川博物館、次の展示は『飛び出し坊やとゆかいな仲間たち』です。

交通安全啓発のために設置された「飛び出し人形」。
東近江市生まれの「飛び出し坊や」は昭和48年に誕生。今年で40歳。
東近江市(旧八日市市)から周辺へ、県内に広がり、県外にも。
飛び出し坊やとゆかいな仲間たちを紹介します

会期は3月6日(水)~4月28日(日)
開館時間 10:00~18:00
休館日は月・火・3/20・4/26

http://notohaku.shiga-saku.net/e900088.html

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